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想い出の1曲 Feed

2007年7月 2日 (月)

Hercules/PARACHUTE

Wer9b3cl 昨日家族でドライブに行ったのだが、出かける前に不意にパラシュートを聴きたくなった。エンジンをかけてすぐにCDをかける。やっぱり夏はフュージョンやなぁとひとり悦に入っていた。

私の好きなギタリストの一人である松原正樹ともうひとり今剛との鉄壁のツイン・ギター、パーカッションに斎藤ノブ、ドラムが林立夫、ベースがマイク・ダン、 キーボード安藤芳彦、そして今作ではまだゲスト扱いだが次作から正式メンバーになるキーボード井上鑑と、1980年代日本の音楽シーンを引っぱっていたと言っても過言ではないスタジオ・ミュージシャン集団パラシュート。その成り立ちから、音楽性は少し違うが「日本のTOTO」などと呼ばれていた。あの売れに売れまくった寺尾聡の「ルビーの指輪」とアルバム「Reflections」で全面的に演奏していたのもほとんどがこのメンバーだった。

セカンド・アルバムになる「6kinds 6sizes」は1980年に発表された。なかでも今回取り上げた1曲目の「ハーキュリーズ」はほんとによく聴いたし、ギターのコピーもした。とにかく「歌うギター」とはこういうギターかと思ったものだ。よく「唸るギター」と松原正樹のギターは形容されるのだが、まさしくその通り。ギターが唸っているのである。おそらくこの名前を知らなくても彼のギターを聴いたことがない人はいないのではないかと思う。パッと思い浮かぶだけで前述の寺尾聡以外に、松任谷由実、松田聖子など有名どころがある。

何度も言うようだが、とにかくギターがかっこいいのである。そして少し気が早いが、夏のドライブ・ミュージックに最適である。個人的な趣味になるとは思うが、なぜか夏にはフュージョンが似合う。これからしばらくは、この曲が私の車で何度もかかることになる。

2007年6月24日 (日)

It Might Be You/Stephen Bishop

Rddsgtlx スティーヴン・ビショップと聞いて知っているという人はあまりいないかもしれない。1983年の映画「トッツィー」の主題歌「君に想いを」を歌っている人と言えばわかるだろうか。日本では所謂AORに括られることが多く、ミスター・ロマンティックなどと言われたりもしている人だ。今回の曲「It Might Be You」(邦題「君に想いを」)は、特にこれといった想い出があるわけではないが、好きな映画とともに大好きな1曲なので紹介しよう。

実はデビュー・アルバムにはクラプトンが参加している。なんでもクラプトンが彼のことを気に入っていて、アルバムに参加したらしい。他にもラリー・カールトンやアート・ガーファンクル、ニック・デカロといった錚々たるメンバーが参加している。デビュー前からミュージシャン仲間から相当好かれていたようだ。そのデビュー・アルバムと名盤と言われているセカンドの「水色の手帖」をレコードで持っていたのだが、今は残念ながらもうない。現在は写真にあるベストのCDだけ持っている。しかしなかなかの選曲で、よくできたベスト・アルバムである。

先ほども書いたように、特別な思いがこの曲にあるわけではない。ただこの映画の主演ダスティン・ホフマンは大好きな俳優の一人で、当然この映画も好きな映画のひとつだ。ダスティン・ホフマンが女装!ということで話題になったハートフル・ラヴ・コメディだが、ただのコメディで終わらせていないところは、この映画の監督・キャストを見れば納得するだろう。監督は社会派のシドニー・ポラック、助演女優はジェシカ・ラング(確かアカデミーをとったかノミネートされたかだったと思う)、そしてもちろん主演はダスティン・ホフマン。演技派の二人が見せる軽妙なやり取りは絶妙だし、ほんの少し社会批判(アメリカにおける女性差別の問題)のスパイスもあり、全編に流れるデイブ・グルーシンのスコアも素晴らしい。そしてそのグルーシンの手によるナンバー「It Might Be You」を歌っているのが、スティーヴン・ビショップだ。自身のアルバムではほとんど自分で作曲作詞をしているが、この曲は自身の曲ではない。しかしそのメランコリックなヴォーカルは、この映画にピッタリはまっている。映画自体はもちろんのことだが、出演している俳優も、そしてその音楽も大好きな「トッツィー」。久しぶりにまた見たくなってきた。

2007年6月23日 (土)

Alone In Love/Mariah Carey

Wt9k2x4d マライア・キャリーと聞いて、なんとミーハーなと思うかもしれない。確かに私にはそういうミーハー好きな部分もあることはある。しかしマライア・キャリーに限って言えばそうではない。少なくとも日本国内でヒットする前から知っていたし好きだったからである。もっともそれも3枚目のライヴ・アルバムまでのことで、それから徐々に興味は薄れ、空前の大ヒットとなった「恋人たちのクリスマス」の頃は全く興味はなくなっていた。そして数年後、ヒップ・ホップをやりだしてからは全く聴かなくなった。私の好きなマライアは3枚目のアルバムまでである。

彼女の声を初めて聴いたのは、当時勤めていた会社の慰安旅行で行ったハワイであった。その頃はちょうどバブルの絶頂期で会社も気前がよかったのだ。初めての海外旅行だったこともあって思い出は色々あるのだが、ファースト・アルバムに収録されている「Alone In Love」というこの曲を聴いたのも忘れられない思い出のひとつになっている。

その時は誰のなんという曲かもわからなかったのだが、日本に帰ってきてマライア・キャリーのことを初めて知った。全米ではすでに大きな話題になっていたようだが、日本ではまだそれほど知られていなくて、次のセカンド・アルバム「Emotions」の大ヒットによって広く知られるようになったと思う。とにかくその絶対的な歌唱力と7オクターブと言われている驚異的な声域、そしてもちろんその曲にも魅かれたのだ。

この曲を聴くと、なぜかあの時のハワイの匂いを思い出す。匂いを思い出すというのは妙な言い方になるが、他に言いようがない。そう、「香り」ではなく「匂い」。言葉にするのは難しいのだが、あの独特の甘いと言うかトロピカルと言うか、なんとも言えない感じが蘇る。こんな感じは他にはない。なんとも不思議な気持ちだが、「Alone In Love」はそういう曲である。

2007年6月22日 (金)

The End Of The Innocence/Don Henley

Tes_m7en 音楽は時としてある瞬間ある状況をリアルに、そして克明に思い起こさせることがる。それはまるで夢のようにモノクロであったり鮮やかな色つきであったりする。そしてそれは自分自身にとって重要なことだという意識はなく、えてして何気ない一瞬であることが多い。

それはある女性との待ち合わせで、心斎橋のパルコ1階にあったカフェ(今はスタバに変わってしまっているが)で一人コーヒーを飲んでいた時のこと。お気に入りの場所でもあったそのカフェは、いつも気のきいた音楽をかけていた。そしてその時流れてきたのが、ドン・ヘンリーの「The End Of The Innocence」。街行く人を眺めながら彼女を待っている時間を楽しんでいた。私には妙な癖があって、昔から彼女との待ち合わせには約束の時間より1時間近くも早く行って、一人コーヒーを飲みながら待つのが好きだった。約束に遅れないためではなく、ただそういう時間が好きだった。「The End Of The Innocence」を聴くと、いつもその時のことを思い出す。ただそれだけのことである。

1989年に発表された「The End Of The Innocence」の1曲目、アルバムと同名のタイトル・チューンであるこのナンバーは、共作者でもあるブルース・ホーンズビーの叙情的なピアノで始まる。「無邪気なままでいられるのはもうおしまいさ」と歌われるこの歌は、少々青臭い言い方をすれば青春との決別のように聴こえる。と同時にイーグルス解散後ずっと引きずっていた幻影との決別ともとれる。そしてアメリカン・ドリームの幻影と、1969年のロック・スピリッツ(ウッドストックのあった年)の終わりを告げた「ホテル・カリフォルニア」に対する彼自身のひとつの答えであったのかもしれない。

この曲が出されて18年たった今でも、時折無性にこの曲を聴きたくなる時がある。そしてあの時のことを思い出すのである。自分にとっての青春とは何だったのだろうと、再結成されたイーグルスで今も「ホテル・カリフォルニア」を歌うドン・ヘンリーのことを思いながら考えてみたりする。

2007年6月18日 (月)

Last Train To London/Electric Light Orchestra

Cu3qdnwc 1979年、私が高校1年の夏にElectric Light Orchestra(通称ELO)の大傑作アルバム「Discovery」は発表された。中学3年でエルトン・ジョンとビリー・ジョエルで洋楽に目覚めて以来、基本的にポップ好きな私はすぐさまこのアルバム、そしてELOのファンになった。当時は現在のようにレコード屋(今はレコード屋なんて言わないか)に行っても試聴機があるわけでもなく、その情報源のほとんどはFMに頼っていた。そして毎週のようにヒット・チャートに登場していたのがELOであった。確かこの「Discovery」からはほとんどの曲がシングル・カットされヒットしたはずである。アラジンの魔法のランプをイメージしたジャケットからも想像できるように、まさに音の魔法の宝箱のようなこのアルバムの中でも、一番のお気に入りはレコードではB面1曲目に収録されている「Last Train To London」だった。

当時はディスコ・ブームの時代で、いつかその頃の話はしたいと思うが、このELOの「Discovery」もよくかかっていたものだ。その頃ディスコで流行っていたのは、アース・ウィンド&ファイア、シック、ビージーズなど現在のクラブ・シーンからは考えられないほどポップなものが多かった。もっともELOのメンバーはディスコ・ミュージックなどという概念は全くなかったかもしれない。リーダーであり、アルバムすべての作曲、プロデュース、果てはトラック・ダウンまで自身で手がけていたジェフ・リン(実際彼のワンマン・バンドだった)は熱狂的なビートルズ信仰者で、事実曲のあちこちにビートルズ的なアプローチが見られる。また後に落ち目だったジョージ・ハリスンを復活させたのも彼である。一般的にもビートルズ・チルドレンなどと呼ばれ、いい意味でメロディ・メイカーとして認められていた。

アルバム1曲目の「Shine A Little Love」のポップ・センスも捨てがたいのだが、やはりこの「Last Train To London」が一番好きだ。ELOの一番の特徴であるストリングスとの融合も素晴らしく、印象的なシンセによるリフもかっこいい。今でもこのポップ・センスに対抗できるのは、全盛期のポール・マッカトニーぐらいではないかと思う。

余談だが「Shine A Little Love」の最後のリフレインのコーラスの中で、1ヶ所だけ「ELO!」と叫んでいる部分がある。ジェフ・リンの茶目っ気振りがうかがえる。

Venus And Mars〜Rock Show〜Jet/Wings

Maivzlj9 ポール・マッカトニーがビートルズ解散以降最も輝いていたウィングス時代のライヴ・アルバム「Wings Over America」。3枚組という大作にもかかわらず発表された1976年全米でNo.1を記録している。それほど当時の人気はすごかった。後にこの全米ツアーの模様はレコードと同じ内容で映画「Rock Show」としても発表された。リバイバルだったが、高校3年の夏に今はなくなった南街劇場に見に行ったことを思い出す。そのライヴ・アルバムの1曲目でいきなり始まるのがこのヒット曲のメドレー「Venus And Mars〜Rock Show〜Jet」である。

高校生だったその当時、バンドのほとんどのライヴで演奏したのがこのメドレーだった。ウィングスをまねていつも1曲目にやったものである。バンドのリーダーであったヴォーカルの意向でこの曲をやっていたのだが、毎回この曲をやるので私は嫌になってしまい、それが原因のひとつになってバンドは解散してしまう。もっとも高校3年だったので大学に進学する者はそれどころではなくなっていたのも大きな理由だったが。

その当時は嫌になったものの、今から思えばいい想い出になっている。もともと好きな曲ではあったし、冷静に聴いてみてもこの当時のウィングスはやっぱりかっこいい。またいつかこの曲をやってみたいものだ。

2007年6月16日 (土)

Sunset/Gary Moore

Hkpah8qw 1981年にコージー・パウエルが発表したセカンド・アルバム「TILT」でこの曲と初めて出会った。今もそうだが基本的にハード・ロック好きではない私は、コージー・パウエルなどほとんど知らなかったが、高校2年だった当時付き合っていた彼女がコージー・パウエルのファンでこのアルバムを聴くことになる。クレジットを見てみるとジェフ・ベックとともにゲイリー・ムーアの名前が!一般によく知られている「パリの散歩道」で気になっていたギタリストであった。聴いてみるとその「パリの散歩道」に勝るとも劣らない泣きのギターである。それ以来ゲイリー・ムーアだけは別格になった。

元来ピーター・グリーン(初期フリートウッド・マックのギタリスト)を師匠と仰ぐほどで現在ではブルース・アルバムを何枚も出しているように、もともと他のハード・ロックやヘビメタ系のギタリストとは一線を画していた。もっともイングヴェイが現れるまではロック界で1,2を争うほどの早弾きで、シン・リジーなどに参加していたこともあってハード・ロック系に見られることが多いようだが。

さて肝心の「Sunset」だが、自身のアルバムでは少なくとも公式盤では収録されてないようである。たぶんコージー・パウエル名義でしか出ていないように思う。ライヴでは何度も演奏されているようだが。去年だったかどうしてもこの曲を聴きたくて音源を探したのだが、なかなかなくて見つけるのに苦労した。この1曲の為にコージー・パウエルのアルバムを買う気にもなれなかったし、レンタルではもちろんなかったし。

哀愁漂う泣きのギターは彼の得意とするところで、この曲においてもその個性が全編にわたって発揮されている。個人的には前述の「パリの散歩道」よりも、高校時代のちょっとほろ苦い思い出とともにある「Sunset」の方が好きだ。

2007年6月15日 (金)

2001年/織田哲郎

5ticftag 知る人ぞ知るヒットメイカーであり、90年代には小室哲也と並ぶ売れっ子プロデューサーだった織田哲郎。だったと言うのは正確ではない。小室と違い現在も数々のアーティストの曲提供やプロデュースを行っている。そんな彼がまだプロデューサーや作曲家として売れる前にアーティストとしてデビューをしていたのを知っているだろうか。今回は彼がバンドとしてデビューした後、ソロとして再デビューを果たした1983年のアルバム「VOICES」からの第一弾シングル「2001年」を紹介する。

1979年高校時代の同級生だった北島健二(ギタリストとして現在も活躍している)とバンドを組みデビューをするもほとんど売れず、アルバム1枚を発表した後に解散。ちなみに他のメンバーは、後のBOØWYのベース松井恒松、バービーボーイズのドラム小沼俊昭、そしてキーボードに難波弘之など錚々たるメンバーであった。これらのメンバーがソロ・デビューのこのアルバムにもそのまま参加している。またその頃、後にヒットを量産することになる音楽制作会社ビーイングの設立にも参加している。

ソロ・デビューは一般にはほとんど知られていないだろうと思う。その当時レコード店に勤めていた私は職業柄たくさんの情報を知ることができたし実際に音を聴くこともできたので、マイナーなアーティストでもかなり知っていた。織田哲郎もそういう一人だった。レコード会社(当時のCBSソニー)はかなり力を入れていたみたいだが正直売れるとは思わなかった。しかし個人的には非常に好きなタイプで、アルバムも気に入って自分で買った。しかし今改めて聴いてみると、後に所謂ビーイング系と呼ばれたたくさんのヒット曲に通じるものがある。彼が作曲やプロデュースで関わったアーティストは、初期のTUBEに始まって、相川七瀬、ZARD、WANDS、DEENなど当時のヒット・チャートのほとんどを占めていたぐらいだ。B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」や中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」も彼の曲である。

さて表題の「2001年」の話に戻るが、初めて聴いた時はなんてかっこいい曲だろうと思ったものだ。難波弘之の影響もあるのだろうか、プログレ的な感もするバラードである。前回の「99」同様近未来の世界を歌っている。アルバムでは「時を超えて」という少しアップ・テンポの曲と対になっていて非常にドラマティックな展開になっている。発表当時は1983年で、2001年なんてずっと先のことだと思っていたのを思い出す。そして先程売れるとは思わなかったと書いたが、逆にこういう良質な音楽を作るアーティストが売れればいいのにとも思っていた。後に彼が売れるようになって嬉しかったし、自分の目(耳?)は間違ってなかったとも思ったものだ。別に私が発掘したわけでもないが、やはり自分がいいと思ったものが売れるというのは気分のいいものである。そういう意味でも織田哲郎というアーティストは、私の中で思い入れのあるアーティストの一人なのだ。

2007年6月14日 (木)

99/TOTO

Dmalox9p 高校の頃ギターに目覚めた私は当初フォーク・ギターで文化祭やクラスのクリスマス会などで演奏し歌っていたのだが、やがてごく自然にエレクトリックで洋楽のコピーをするようになる。そしてフォーク・ギターで遊んでいた仲間とともにバンドを結成したのが高校2年の1月のこと。その年の10月に解散するまで、短い期間だったが精力的にライヴをやった。高校生にしてはかなり活動的であったと思う。単独のライヴが2回、高校の文化祭でのコンサート、地元の楽器店主催の音楽祭で市民会館にて演奏、ヤマハのコンテスト、地元のライヴ・ハウスに2回出演・・・。わずか10ヶ月の活動期間であったがほんとに楽しかった。その中で一度だけヴォーカルをとった曲。それがTOTOが1979年に発表したセカンド・アルバム「HYDRA」の3曲目「99」であった。

当時TOTOのギタリストのルカサー・フリークだった私は、当然TOTOの大ファンでもあった。そしてこの曲をやりたいとメンバーに話したところ、それなら自分で歌えということになった。それまでギターを弾くだけだった私は必死で歌詞を覚え歌の練習をした。その頃はまさか40歳を過ぎてクラプトンを歌っているなど思いもしなかった。

ところで「99」とは女性のことである。近未来の世界の話で、固有の名前など誰にもなく、誰もが個体認識番号で呼ばれている。そういうちょっと不気味な世界を歌っているラヴ・ソングだ。
内容的には「君を愛してる・・・」という平凡な内容だが。

クラシカルなピアノのイントロに導かれて始まるこの曲は、本国アメリカではパッとしなかったが日本ではそこそこのヒットを記録した。ベースが独特の音を出していて、チョッパー(現在ではスラップと呼ばれているが当事はそう呼んでいた。)なのだが普通の音ではなく、当事みんなで「どうやって弾いてるんや?」と話題になったものである。その後ライヴで実際に見たら、普通にチョッパーの音で弾いていたのでちょっとがっかりした思い出がある。たぶんスタジオで処理をしたのだろう。また当時はルカサーの全盛期で、この曲でも非常に完成度の高いソロを聴かせてくれる。そしてそのギター・ソロの後半にTOTOの中でたぶん唯一のベース・ソロがある。これがまたかっこいい。

1992年、バンドのリーダーであり、そしてTOTOというより音楽界の至宝であったジェフ・ポーカロがいなくなった時に、私にとってはTOTOは終わってしまっている。確かにサイモン・フィリップスも上手いドラマーだが彼ではダメなのだ。ジェフ・ポーカロこそがTOTOそのものであり、今のTOTOは全くの別のバンドだと思っている。

少し話がそれたが、TOTOが最もTOTOでありえた時期の大好きなナンバー。
それがこの「99」なのだ。

2007年6月13日 (水)

青い影/プロコル・ハルム

J9kfshi1 「大阪で生まれた女」と似てなくもない?プロコル・ハルムの1967年のデビュー曲にして最大のヒット曲「青い影」(原題「A Whiter Shade of Pale」)。印象的なオルガンによる荘厳なイントロはバッハのカンカータからとったものだが、このクラシックのメロディをモチーフにするという手法は、ビリー・ジョエルが「This Night」(サビでベートーベンの「悲壮」のメロディをそのまま使っている)でもやっていて、他にもポピュラー界ではよく使われている。

何を隠そうこの曲が「青い影」という曲名だったと知ったのはずいぶん後になってからのことだ。1963年生まれの私はもちろんリアル・タイムで聴いているわけもなく、しかしいつの間にか耳に残っていたこのメロディは20歳を過ぎるまでわからなかった。あちらこちらでこのメロディを聴く機会があったはずで、今でもたまにラジオでかかったりするほど有名な曲なのにである。

気に入っているのに曲名もアーティスト名もわからないという、なんだか釈然としない時期が何年も続いたこの曲は、今でも大好きな1曲である。